ブログだけはサボれる

忘れていくこと、忘れたいこと、忘れなければいけないこと

労働力を提供し対価を得る。

仕事では当たり前の話だけれど

この世の中はそういったものしか存在していないように思える。

助けてあげたから助けてほしい。

プレゼントをあげたから今度はもらいたい。

奢ってあげたから今度は奢ってほしい。

誘ってあげたから誘ってほしい。

「家族」とかいう綺麗な言葉で成り立つ夫婦ですら 多くは 家事という労働力をどちらかが提供し、どちらかが生活費を稼いぎ家庭に入れてもらうという関係で成り立っている。

みんな、自分の行動に対して、何らかの見返りを求めている。

多かれ少なかれ、見返りを期待して行動を起こしているし、思い通りの対価が相手から返ってこなければガッカリしている。

それで今の私たちの人間関係は成り立っている。

見返りを求めて 他人にアプローチするということは

「他人のため」だと見せかけて「自分のため」ではないかとずっと考えてきた。

じゃあ私が求めていた「見返りのないもの」とはなんだったのか。

まだまだ言いたいことがあったのにうまく文章にできそうもない、うまく伝えられたらいいと思うのにいつも伝えられない。