2年前のわたしにドン引く
1年の振り返り
— ゆ (@sayonaraasita_) 2018年12月16日
1月 恋人と出会う
2月 特に何事もなく過ぎる
3月 恋人と付き合う
4月 はじめてUSJいく
5月 恋人と別れそうになる
6月 同上
7月 同上
8月 同棲する はじめて秩父いく
9月 体調崩す
10月 勉強がんばる
11月 筆記試験受かる 転職決意する
12月 実技試験に進む 燃え尽きる
なにこれ
気がついたら12月で、気がついたら冬が来て、気がついたら前回の更新から2年が経っていた。
2年経って変わったこと。
髪型。
恋人。
住居。
履歴書に書ける資格の量。
変わってないこと。
体重。
体調。
給料。
12月が来ることが苦痛だった。
恒例行事のように、誕生日、クリスマス、忘年会、大晦日、一年の振り返りや来年の抱負が襲いかかってくる。
やらなくても良いことに振り回される自分にも嫌気がさすし、やらなかったら虚しくなるし。
それでも今年はそれほど苦痛ではないと感じるのは、試験で忙しかったからか、12月の実感がないからか、暖冬のせいか、恋人のおかげか。
どう足掻こうとも今日は当たり前のように終わるし、着々と毎日は進んでいく。
2018年にやり残したことはないから、2019年まで深く考えずに、穏やかに毎日が過ぎていくといいなと思ってる。
12月に生まれたから年の振り返りが歳の振り返りでもある。
人からはここ1、2年で元気になったね〜とか回復したね〜とか言われるけれどメンタルの根本的なところは11歳とか12歳とか1番状態のよくない時と同じで、自分の中では大きく回復したとか寛解したとかは感じてはいない。
ただ歳を重ねることで負の感情をまるで無いかのように振る舞うことや、メンタルのコントロールの仕方が上手くなっただけた。
つまり、環境や条件が揃えば元に戻る可能性はいつでも転がっている。
もしかしたら人はそれを回復や寛解と呼ぶのかもしれない。
病気が「いつでもここにいるぞ」と見ているようだ。
いつか見た記事にそのようなことが書いてあった。
その通りだ。
病気はいつだって付いてくるし付き合っていくものでもある。
自分の身体は死ぬまで私に付いてくるしそれは避けられないから、どれだけ上手く付き合えるかを模索していく。
きっとあの頃の環境に戻れは、あの頃の自分に戻る。
今、私がドン引くほど病んでいたあの頃の自分に。
それだけはないように気をつけよーっと。
なんて気軽に笑える私に、君も「やっぱり回復してるじゃん」と笑う。
■
労働力を提供し対価を得る。
仕事では当たり前の話だけれど
この世の中はそういったものしか存在していないように思える。
助けてあげたから助けてほしい。
プレゼントをあげたから今度はもらいたい。
奢ってあげたから今度は奢ってほしい。
誘ってあげたから誘ってほしい。
「家族」とかいう綺麗な言葉で成り立つ夫婦ですら 多くは 家事という労働力をどちらかが提供し、どちらかが生活費を稼いぎ家庭に入れてもらうという関係で成り立っている。
みんな、自分の行動に対して、何らかの見返りを求めている。
多かれ少なかれ、見返りを期待して行動を起こしているし、思い通りの対価が相手から返ってこなければガッカリしている。
それで今の私たちの人間関係は成り立っている。
見返りを求めて 他人にアプローチするということは
「他人のため」だと見せかけて「自分のため」ではないかとずっと考えてきた。
じゃあ私が求めていた「見返りのないもの」とはなんだったのか。
まだまだ言いたいことがあったのにうまく文章にできそうもない、うまく伝えられたらいいと思うのにいつも伝えられない。
水曜日
きょうはなぜかとても疲れがきた。
なぜかわからないけど 帰ってきてすぐに机に突っ伏した。
7時間しか働いてないんだけどな。
わからないことだらけだ。
わたしは基本、土日も仕事で不定休だから 土日がお休みのいわゆる普通の会社に勤めている人の、月曜日は憂鬱とか、サザエさんなんちゃらとか、そういった気持ちはわからないけれど、
今週は私も日曜日がお休みで月曜日はじまりだったから少し気持ちがわかった。
水曜日って気が重たい。
土曜日も仕事なんだけど。
いつも最低でも24時から 朝の8時半過ぎまで眠っているから、睡眠時間8時間半から9時間は取れてる。
睡眠不足ではない。
でも、朝起きるのはしんどい。
そして昼間もなかなか眠たい。
過眠だと思うのだけど、治し方がわからない。多分、うまく付き合っていくしかないのだけど、これがいわゆる世間で「怠け病」と言われるものなんだろうな。
「寝過ぎで眠いんだ」と言われるけど 1日6時間から7時間睡眠だと日中がしんどくて わりと立ったまま寝てしまいそうになる。それでは仕事にならないし、休日でもまともに日常を送れない。だから今日も眠る。
生きることに向いていないとつくづく思う。
このブログが知人に見られることが恥ずかしくて消えてしまいたくなった、というか消してしまいたくなった。